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モノ・コト・ココロ

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立場と資格

Kさん、来場。彼のような立場で仕事をしている人はどのくらいいるのだろう。
売り手とデザイナーとメーカーの狭間でさぞやもどかしいことであろう。
要は、モノの成り立ちがわかっていない売り手と
モノの成り立ちと素材のことをあまり知らないデザイナーの間で
どうやれば、その創造物というより、想像物を現実のモノにしていくか、
で、右往左往している。(私はメーカーとして協力している)
「はい、わかりました」と言わないから、あまり協力的でないけど。

昔は、お殿様への献上品であったジャンルのモノがいまでは、お金さえあれば
手に入る。
お金を持っていても自分の「分」をわきまえた価値観の人々もいる。
(私はこちらが正しいと思う)
例えばイタリアではフェラーリはお金があるから、買うモノではない。
ちゃんとバックボーンが必要とか。

まあ、そうしたお殿様気分というものは誰しも味わいたいものだろう。
でも、モノにはちゃんと価値観や歴史が詰まっていて、
そういうコトをきちんと、とまでいかないまでも
ちゃんと愛でるコトができる人が、そのモノを手にする資格が
あるのだと思う。

話は、ぜんぜん違うかもしれないが、私は自宅にゲーム機を持たなかった。
ゲームはゲーセンでお金を払ってやっていた。
別にゲーム機を買うお金がなかったわけではなく
そう決断したから、そうした。
(ゲームはよくやっていました。デビューはブロック崩し。
  浪人〜大学1年がピークかな)

ただでやれると時間を浪費するのが自覚できていたから。
だから、買わなかった。ゲームをする時間をコントロールすることができると
思っていたら、たぶん買っていたと思う。
ゲーム機の主人になれないことを感じていたのだと思う。

売り手はモノの価値を知っているのだろうか、デザイナーは?メーカーは?
献上品が大量生産されることで、「希少価値」を失う。
それは悪いことではないと思う。
そして、特定のニーズに応えるという意味も、対象が拡大することで
希薄となる。それはもはや、献上品ではなくなる。
主(あるじ)を失う。

いいモノは長く使える。時代と場所を超える。
私は、そう思う。

そして、自分の価値観をほんの少しでも分かち合える人々に
私の作ったモノを愛でて欲しい。

モノの主人たる自覚を、希求してやみません。
気持ちの問題なのですが。

わがまま、です。
by cubit-papa | 2005-04-05 18:19 | モノ・コト・ココロ
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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