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つよがり

 今朝は飛行機が落ちる夢をみた。
たいそうキレイなビルで打ち合わせしてたら、けっこう近くに飛行機が落ちて
とばっちりをくらってそのビルもこわれ、でも私は無事で、都内は暴動が
発生するだろうから、八王子に逃れようとするあたりで目が覚めた。
逃れるにあたって、アーミーの装備みたいなのを手に入れようとしてた。
アキラ/大友克洋とか夜叉/吉田秋生のノリ。

そんな状況では、お金とかの価値観はくずれ、
ただ、自分と家族の延命を願うものだと思った。

逆にそのことを社会に頼っていたことを再認識した。
現状では、ほったらかしのことだ。

会社・社会に頼りきって生きているのだ。
自分の力というのは、どれほどのものか。
たいしたことはないというか、実際、そんな状況ではなにもできない。
「命」を長らえる術をもたずに生きていけるなんて、こっけいな気もする。
自虐的だね。
そうはいっても、このように生きていけることは、人間の総意として意志の表れだとも思う。
言い回しが難しいけど、そういう世の中を人々はとりあえずは望み、手にした。
そして、ひとつの到達点としての現状。
その状況下(条件下)でのさまざまな問題。

すごく、いいかげんな俯瞰をすれば、どのような時代にも「楽しみ」と
「苦しみ」はあったと思う。そして、自分の力の及ばない「何か」によって、
日常は(永遠感)は簡単にひっくり返っていたと思う。
私はこの春は、肉体的にくるしい。そうすると精神的にもくるしい。
頭ではこの状況下を意図的に「よろこぶ」ことも選択できる。
なんとでも言える。
「たかが、しれてる。時期がくれば、直る」と。
くるしさも長く続くと麻痺するんだと、実感した。
たとえ、体の調子が悪くとも、「何か」価値のあることをしていたい自分であったが
そのことがままならぬとわかったとき、志向も停止してしまった。
でも、「ただ生きてる」ことは、今の自分には難しい。
生まれたときは、ただ生きてるだけだったのに。
それだけでよかったのに、オトナには「意味」が必要なんだ。
いや、自分にほほえみかけてくれる誰かが必要なんだ。
それは、他人に求めるものではなく、自分自身に与えなければならない感情だろう。
それが「自立」というものなのか。
そうできる時ばかりではないけれど。

たまに、弱るのも悪くない。多少は学ぶこともある。

だからって、志向に変わるものを自分に与えられるわけもないんだけど。
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by cubit-papa | 2005-04-19 09:26 | 覚え書き
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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