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まじめな話

対話

生きていることの意味というのは、すなわち、価値があるかないか、
それはどの尺度ではかるのか、そもそも測りうるものか。

他人にとって「無価値」であったとしても、「非生産的」であったとしても、
生きているのならば、生き続けるべきなのだろう。

存在の意味なんて、たかがしれていると思う、少なくとも日常的なことを
淡々とこなしていくだけならば。

他人から自分の存在を認められたい。そのために生きている。自分にとって
価値のあることが普遍的な価値にすこしでもつながっていれば、よしとする。
でも、そのことを自分で確認できないのなら。

どうするとよいのだろうか。

いまの自分、その存在を受け入れるというのは、簡単そうで実は非常に難しい。

仮に社会が理想とする人間になれたところで、誰からも何のリアクションもない。

求めた結果を得る、ということで、達成感とともに自己の存在も確認できよう。

しかし、それは束の間の充足感にすぎない。

ないものねだりで生き続けているのが実情なのだ。
そのことを悩むこともまた、人として逃れようのない欲望なのだ。

意味を遠ざけることも、苦しみから逃れることも叶わない。

そういうもんだ。ここで腹をくくらないとしょうがない。


…挫折の体験によって、ルートの再構築を迫られる、で、そのとき
自分で考えるか、適当にその辺の「生き方」を真似しちゃうか。
それはどちらでもいいと思います。でも苦しさというかその「選択」する自分に
嘘はつけないから苦しいのでしょう。困ったことに。
「生きることの意味」そのものが希薄な時代。
「生き延びる」ことはたやすく「生きていく」ことは難しい。

健康ベースの志向がくずれたので、
わたしも苦しい。昨日はめそめそしてかみさんにグチりました
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by cubit-papa | 2005-04-23 12:17 | 覚え書き
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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