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ひさしぶりの出勤で金曜というのはなんか、いまいち乗れない感じ。

昨日、ある人が勧めていた人間ドキュメントという番組を見た。
ある動物園で白熊の人工保育をした方への取材番組。
その飼育係の人のことばで記憶にのこっているのは
「今日、できることをしてあげる」ということば。
いろんな人が同じような意味のことを言っている。
人工保育ということでいえば、100余日しか、過去の例がなく、
参考にする資料も、たよれる人もない。
そういう状況でのセリフ。

翻って自分はといえば、
明日のことはある程度、予測も出来、誰かの命を預かっているという責任感も薄い。

住空間に関して興味があり、そこへ目がいく。
この「空間」というのが、つかみどころがない。
最低限のシェルターとしての機能以上のものを求める欲望というのは
欲望としては間違いなく生命の維持に関る欲望より下位。
生き延びるためには、それほどおおげさな装置が必要なわけではない。
「食」などは命と近い。
「よい住空間」なぞ後回しの欲望。

そして、データによって未来をある程度予見できる。

いまの自分にあるものによって得ることができることやもの。
その逆で、今の自分にないから、得ることができないこと。
それと、本心からそれを得たいのかどうか。そして、自分が生きていることの意味。
明日を迎えられない人や動物、植物たちによって生かされている命。
命は体と心が変化していくということ。
変わっていくこと。それが生きていくということ。
今日の体験は昨日得ることができなかったこと。
今日生きていることをありがたく思えるか。
しかし、愛する人を奪われれば、自分の命はどんな意味を持つのだろう。

重たいね。

ぼんやりと外を見ていると、そう考えることすら無意味に感じて。

自分はただ、景色を映す鏡の底みたいなものなのかなと。

落ち込んでみても、習慣の鎖は絶ちがたく、
鏡に映った軌跡を、ただ歩いていくことしかできない。
進んでいるのか、後戻りしているのか。
それでよしとは心が言わない。何故だか知らない、わからないけど。
轍から歩みを踏み外すことを望んでいる。
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by cubit-papa | 2005-05-06 16:55 | 覚え書き
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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