モノ・コト・ココロ

cubitpapa.exblog.jp ブログトップ

あきらめるってこと

ある方のブログで「あきらめる」ことについて書かれてました。
トラックバックしようかとも思ったのですが、諸事情ありまして(^^;)

あきらめる→明らかに究める
簡単なことではない、でも大事なことだと思う、と書いてました。

で、高橋和巳さんという精神科医の方の本にこんなことが書かれてました。

楽しく生きる―私には「会いたいもう一人の自分」がいる/三五館

P138
 人間は贅沢な存在である。ある欲求が満たされれば、もっと深いものが欲しくなる。楽しさを知れば、それをもっと確実なものにしようとする。同じものでは満足しない。もっと楽しく、もっと確実にという心の願いを叶えるものが、諦めであり、心は諦めという変換を経て、これを実現する。
 諦めるためには自分のより深いところにある「欲」を知り、それに自覚的でなければならない。欲を「諦める」ためには、欲を「明らめ」なければならないのである。
 もっと自由に、もっと気楽に生きるために私たちは、諦める。

あっ、すこしわかるなーと思いました。
「足るを知る」ってことだな。
私は諦めが悪いなと。(やけに諦めがいいときもありますけど)
もっと、もっとという欲求を満たすのは「あきらめ」。
逆説的で、わかりづらいけど確かにそうするしかない。
自分の欲求の相対化という印象。
それがなければ絶対ダメっていうわけじゃないし、しゃーない。まっいいか。
というつぶやき。(もしくは強がり(^^;))

enzianせんせの記事に「小さな孤独」について書かれたものがありました。

「孤独」っていうのも実はピンときていないというか、避けているコトバです。

同じ本の中に(P128)

 悲しみの中で自分を哀れみ、独りぼっちになって、それが見えた。
 孤独は寂しく、耐えがたい体験であるが、しかし、いつの間にか(自分が)当たり前に受け入れている社会やそのルールから離れて、自分一人と向き合うという意味で価値がある。そこで見えてくるものは長い間知らず知らずのうちに自分を突き動かしてきた社会的な価値や自分の思い込みである。

「孤独」っていわれるとピンとこなかったコトバが「独りぼっち」だと腑に落ちた感じ。

自ら進んで独りぼっちになるっていうほど、「大人」ではないけれど、
独りぼっちを自覚できないと、あきらめるってことも理解できないなと思いました。
[PR]
by cubit-papa | 2005-10-09 22:50 | 覚え書き
line

1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30