引っ越しの体験
その場所にどんなに愛着を持っていたとしても
親の都合で、その場所・人との絆をブツンと切られてきた。
そんな子どもの頃の体験は、自分がその場に居続けないが故に
その場を「本気で」愛さないというパターンを身につけてしまったようだ。
「ジプシー」のような定着しない生き方をしなければならないと思い込んでいる。
でも、今、自分のような感覚を持っていない「家族」を得たことで
先の価値観はゆらいでいる。
結果的に「ここからいなくなる」という想いを、彼らは持っていない。
私は、その「思い込み」のせいで、いろんな生活の細部に関する
追求や完成を敢えてしていない。そうしたところで、自分は
ここからいなくなるのだから。
今の私は「ここからいなくなる」という「虚無感」を抱えている。
それで、いろんなことが説明できる。ひとつ自分をつかまえた。
このことに善し悪しはないと思う。(自信はないが)
急に手のひらを返すように「ここ」を愛することはできない。
愛さないでいるからこそ、「自分」が壊れないでいられたのだから。
まだまだ自分が「今、ここ」にいることの理不尽さを
受け止めきれていないのだろう。(普通そうだと思うけど…)
自分では肯定的な人生観で
生きてきたつもりだったのだが、そうでもないんだと思った。
どこへ行こうかなという気持ちよりも
ここで何ができるだろうって考え始めているのかもしれない。
親の都合で、その場所・人との絆をブツンと切られてきた。
そんな子どもの頃の体験は、自分がその場に居続けないが故に
その場を「本気で」愛さないというパターンを身につけてしまったようだ。
「ジプシー」のような定着しない生き方をしなければならないと思い込んでいる。
でも、今、自分のような感覚を持っていない「家族」を得たことで
先の価値観はゆらいでいる。
結果的に「ここからいなくなる」という想いを、彼らは持っていない。
私は、その「思い込み」のせいで、いろんな生活の細部に関する
追求や完成を敢えてしていない。そうしたところで、自分は
ここからいなくなるのだから。
今の私は「ここからいなくなる」という「虚無感」を抱えている。
それで、いろんなことが説明できる。ひとつ自分をつかまえた。
このことに善し悪しはないと思う。(自信はないが)
急に手のひらを返すように「ここ」を愛することはできない。
愛さないでいるからこそ、「自分」が壊れないでいられたのだから。
まだまだ自分が「今、ここ」にいることの理不尽さを
受け止めきれていないのだろう。(普通そうだと思うけど…)
自分では肯定的な人生観で
生きてきたつもりだったのだが、そうでもないんだと思った。
どこへ行こうかなという気持ちよりも
ここで何ができるだろうって考え始めているのかもしれない。
by cubit-papa
| 2006-01-07 19:46
| 覚え書き