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大人という概念

ヒトというものはいちいち赤ちゃんから育っていくものなのだ
ということが腑に落ちた。

一人の個人は一話完結なのだ。

いつのころからか、自分の中には
大人という人種がいて、
(いまでもいるのだが)
なんでも知っていて、なんでもできる。

そういうイメージを他人(大人)に勝手に投影していた。

そうでない場合は、それを「個性とか性格」としてかたづけていた。

でもちがった。

代々継承していく「伝統」というやつも
継いで行くのは「型」であって
そうしたものも含めて、自分で獲得していくもの。

ある分野で、それなりの立場だから
「こんなこと、当然知っている」っていうのは私のカン違い。
立場や肩書きで、その人の知識を予測してもダメなのだ。
(まったくダメってわけじゃないけども)

その人が知っているかどうかというのは別なのだ。
たとえ、知っていても自分で
自在につかえるように知っているかということは別。

そして、

自分のなりたい肩書きのために
自分のそういう考えというか、ものの見方は自分に
必要以上に経験とか、知識とか、実績を課していたんだ
ってことに気づいた。

すごくまじめに
デザイナーというコトバの持つ
ステレオタイプを追いかけていた。

現実はいろんなデザイナーさんたちがいるのに
そういうことを、そうだよねとうなづけず
こうあるべきだと
追いかけ続けてきた。

もしかしたら、
もっとがんばれば
追い越せたのかもしれないけど。

でも、それは幽霊みたいなもので、
けっして手中に収められるものではないのかだろう。

そんなもの、求めずに自分にできることを
淡々とやれば、それでいいのではないかと。
そう考えてみても、大人な自分はそこにはいない。
で、混乱する。

でも、こんな自分でも、人の役に立てるみたいだし。
(かかわる人すべてに対してではないけれど←いちいちこう考える…)

他人がというか、大人っていう概念は
自分にとっては「神様」に近いものかもしれない。

だから、気持ちのどこかで
他人(大人)に対して、引け目を感じている。
けっして、追いつくことができず
自分は、そうなることもできない存在としての「大人」。

そんなの幻想。

っていうか、間違っているんだろうな、きっと。

そんな風に感じる今日この頃。

歳をとった。だから大人ではないし。
家族がいるから大人でもないし。
体の大きさではないし。
我慢ができるから大人、ではないし。


こうして混乱しているぐらいがちょうどいいのかもしれない。


こういう、私は大人には、なれてないなぁと思う。

自分の概念としての「大人」と自分は
決してイコールにはならない。なれない。

うーん。

「大人」ってことばに対しての「万能感」みたいなもの。

こいつが、くせ者。

あぁ。

そうした「万能感」って
人間はきっと欲して止まない生きものなのだろうし。

周囲の幼い人も歳をとった人も
ご同輩もいろいろと考えさせてくれる。
予測困難なことが最近、多い。
わからーんってことをみなさんやってる。

自分の行動だってほんとうのところは
自分に理屈で納得させることなんて所詮無理なのだろうけど。

なんか、いろいろかっこいいこと言ったり
やってみたりしてるけど
あやうい生きものなんだなぁ。

それに気づいた。

で、自分のなかの「大人」はまだいたりする。
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by cubit-papa | 2008-10-08 21:52 | 覚え書き
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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