モノ・コト・ココロ

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我が家カフェのコーヒー

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豆はペットボトルに移して保管。上から覗いたところ。
タカチホさん
で買った深煎愛飲会(?)のモカ。
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ミルでごりごりとすりつぶします。
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このぐらい荒めに挽いてます。
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円錐の耐熱ガラスのドリッパーで80℃ぐらい(じつは適当、ごめんねマスター)の
お湯を注ぎます。
ゆっくり、ゆっくり落ちてきます。
フィルターはガラスに密着し、
先端の部分だけから、コーヒーが落ちてきます。
豆自体が、フィルターの役目をするみたいです。
とろりと甘い、コーヒーです。深煎りなので、しっかりした味。
(うーむ、ボキャブラリーが貧困…)

で、好きな音楽を聴きながら、
ちらかった部屋でインテリア雑誌の整理をするのが
休日のはじまり。
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by cubit-papa | 2005-04-30 10:15 | コーヒー

座れる犬小屋

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こちらは正面。犬は人形です。(犬形?)
ちなみにこの人形は肩から先がありませんでした。
びっくりしました。誰が買うんだろ?
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これは後ろから見たところ。

天板はのせているだけで、固定はなし。
ずれ止めはしてあります。もちろん、座ってOK。
室内での使用を前提にしてます。
キャスター付き。

大きさは高さが40cm、幅が40cm、奥行きが60cm。

午後2時頃、顔を出したのですが、犬を連れてくる人、
ケーキとコーヒーを楽しむ人と、いい感じでした。
一日だけのイベントにするのはもったいないなー。

“Daysy Dog Field”というお店です。犬小屋は明日からは
チェアチェアさんでみれると思います。(たぶん…)

イベントを企画した千葉県の八千代市・佐倉市のショップのブログ
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by cubit-papa | 2005-04-29 17:15 | モノ・コト・ココロ

回復の兆し

なんか、まだ頭痛とかあるけど、体の中に「芽」がでてきた感じがあった。
ちょっとうれしい。
でも無理は禁物。
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by cubit-papa | 2005-04-28 17:59 | 覚え書き

カタチになっていくモノと眺めるわたし

昨晩は久方ぶりにタカチホへ。また、深入りのモカを買った。
ひさしぶりにエスプレッソを試飲。うまかった。
来週には、ドリッパー受け入荷するから、持ってきますね。
ああ、でも、サーバーグリップの図面を描いてない…。ううう。

その帰宅途中、チェアチェアのオーナーから電話があり、
合板を使った犬小屋を本日は試作。
室内犬用だそうで、イメージを伝えてもらって
それに基づいて構造など考えて
帰りがけに持っていく。
チェアチェアさんらしく「人が座れる犬小屋」だそうな。
ゴールデンウィークのペットショップでのイベントに
展示したいとのこと。間に合うのかー!!

「こーゆうのあるといいよね」という漠然とした欲求が、
カタチになっていくのを傍らから眺めるのが好き。
たいてい当初、予定していたところとは違うところへ着地する。

自分で作っていても、そういう作業を「傍らから眺めている」自分がいる。
相手の要望に対して、自分なりの「解」はあっても、最初からは出さない。
だって、相手のアイデアのほうがいいときだってあるし、
提示しちゃうと、それはもう存在しちゃって、相手のイメージとの戦いになってしまうし。

気が弱いのかな。それもある。理不尽なつっこみは嫌い。

まあ、材料(強度や材料を無駄なく使い切るサイズと
使用目的のサイズの兼ね合い)のことは、こちらのほうが
詳しいので、まかせんしゃい、という態度だけど、
カタチは、そういう用途なら、こういうカタチだーって
プレゼンする気があまりない。

デザイナーとしては終わってるのかも…。

でも、モノをつくってカタチになって、
そしてお互いニコニコ、ニヤニヤできればそれでいいのだ。

そういう空気を依頼主と共有したい。
モノづくりはやめられないなー
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by cubit-papa | 2005-04-26 15:05 | モノ・コト・ココロ

考えごと(まじめな話のつづき)

社会的な自分は「役に立つ道具」であるべきで。いわゆる健康な人が存在していることだけで「評価」を得るのは不可能であろう。
悲しいけど、そういう価値観だ。
で、いろんな意味で役に立てない、生産的な活動を行えない人がいるとして、
そんな人たちには、具体的な生産活動は行えないという事実によって、
そんな人たちを会社は雇わない。
でも、ただそれだけのことだ。
遺伝子プールという考え方で生物をとらえると、遺伝子的に「劣った」ものも、総体としては「必要」なんだそうで、「優秀」なものだけでは、その生き物は「多様性」を持てず、環境の変化に対応していけない、生き延びていけないらしい。
まあ、そんな風に自分のことを捉えるのはちょっとさびしいけどね。
必要とされている感覚というのは、すごーく大事なことなんだろう。それを自分の属する社会から得られないというのは、生存の危機に陥る。知り合いがもう、長くこのことで悩み続けている。わたしも不調になったことで、このことを自分のこととして考えざるを得ない。
かといって、「生きている」ことそのものに価値を感じられるかといえば、これがなかなかむずかしい。
いわゆる健康な人にとって「働いていること」のウエイトはとても、とても大きい。それぬきで「生きている」ことは語れないだろうし。
そこから、離れた存在としての自分の価値を、いまの環境のなかでつかむっていうのは
それはつまり、自分のオリジナルなココロを大切にするということなのかと、ぼんやり感じている。
しかも、それをなにかのカタチにしない。(してもいいんだろうけど)しようとすれば、そこには、期待と失望がうまれちゃうだろうから。

ただ、自分を含め、人間を「消費単位」「生産単位」という視点で捉えるのは、やだなって思います。
たとえ、社会の価値がそうであったとしてもね。
「あなたは、ただ生まれただけで価値があるんだよ」「あなたがいることで、わたしはうれしいんだ」っていうメッセージは
そうとう意識しないと、自分にも、他人にも発せられない。
だけど「おかえり」「ただいま」っていうことばにはその意味が含まれてる気がするな。

自分の気に入ったモノをつくったり、使ったりして生きていく。そういうのが今の自分の夢。
その実現のために生きているのに、それが無理になったとき、
自分にとって価値あるなにかを、自分の存在の中にみつけられるのか。
それは自分の内側にみつけなきゃいけないことなんだろうけど、難しそう。
「つくりたいからつくる」っていう動機だけでは突き進めない。
どうしようかと、彷徨うこととしよう。
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by cubit-papa | 2005-04-25 13:11 | 覚え書き

まじめな話

対話

生きていることの意味というのは、すなわち、価値があるかないか、
それはどの尺度ではかるのか、そもそも測りうるものか。

他人にとって「無価値」であったとしても、「非生産的」であったとしても、
生きているのならば、生き続けるべきなのだろう。

存在の意味なんて、たかがしれていると思う、少なくとも日常的なことを
淡々とこなしていくだけならば。

他人から自分の存在を認められたい。そのために生きている。自分にとって
価値のあることが普遍的な価値にすこしでもつながっていれば、よしとする。
でも、そのことを自分で確認できないのなら。

どうするとよいのだろうか。

いまの自分、その存在を受け入れるというのは、簡単そうで実は非常に難しい。

仮に社会が理想とする人間になれたところで、誰からも何のリアクションもない。

求めた結果を得る、ということで、達成感とともに自己の存在も確認できよう。

しかし、それは束の間の充足感にすぎない。

ないものねだりで生き続けているのが実情なのだ。
そのことを悩むこともまた、人として逃れようのない欲望なのだ。

意味を遠ざけることも、苦しみから逃れることも叶わない。

そういうもんだ。ここで腹をくくらないとしょうがない。


…挫折の体験によって、ルートの再構築を迫られる、で、そのとき
自分で考えるか、適当にその辺の「生き方」を真似しちゃうか。
それはどちらでもいいと思います。でも苦しさというかその「選択」する自分に
嘘はつけないから苦しいのでしょう。困ったことに。
「生きることの意味」そのものが希薄な時代。
「生き延びる」ことはたやすく「生きていく」ことは難しい。

健康ベースの志向がくずれたので、
わたしも苦しい。昨日はめそめそしてかみさんにグチりました
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by cubit-papa | 2005-04-23 12:17 | 覚え書き

ランチァストラトスターボのココロ

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スーパーカー消しゴムにプラカラーを塗ってた小学校時代、
色を塗る資料はタミヤ模型のカタログだった。

1979年のカタログにはランチァストラトスターボが載っている。
あの頃はターボってつくと「なんかすげー速そー」と
思っていた。(今だってその程度の認識)

先日、場末の模型店でこのランチァストラトスターボを発見した。
いや発掘だな。
想いはかなうものなんだなーと。

スーパーカー消しゴムと1/24のモデルを並べて飾るという夢が、まずは
ランチァストラトスターボで叶う。ふふふ。

というか、かっこいいよ、この「シャクレ」とカラーリング。すごーくいい。
こういうのの好みはいつどのようにインプットされちゃうのでしょうか。

いまも変わらずスーパーカーはかっこいい。
いまの車より、かっこいいと思ってしまう。
かっこいいプラスなつかしいがあるからだとおもう。

ミニとかワーゲンとかファンいるもんね。

今の模型はほとんどモーターついてないというか、モーター付という
レベルではなく1/24でモーターついてるならラジコンになっている。
すごい。時代が違う。

このランチァストラトスターボはモーター付。

そのあたりの仕様もなつかしい。

昔のモノを見ると
そのころ住んでた家のことや友人のことを
思い出してなつかしい。
オヤジを通り越して、すっかりジジィ化している。

つぎはポルシェ935ターボだ、でもなかなか見つからない。
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(パッケージの上にスーパーカー消しゴム乗ってるの、わかるかなー?)
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by cubit-papa | 2005-04-21 21:08 | モノ・コト・ココロ

つよがり

 今朝は飛行機が落ちる夢をみた。
たいそうキレイなビルで打ち合わせしてたら、けっこう近くに飛行機が落ちて
とばっちりをくらってそのビルもこわれ、でも私は無事で、都内は暴動が
発生するだろうから、八王子に逃れようとするあたりで目が覚めた。
逃れるにあたって、アーミーの装備みたいなのを手に入れようとしてた。
アキラ/大友克洋とか夜叉/吉田秋生のノリ。

そんな状況では、お金とかの価値観はくずれ、
ただ、自分と家族の延命を願うものだと思った。

逆にそのことを社会に頼っていたことを再認識した。
現状では、ほったらかしのことだ。

会社・社会に頼りきって生きているのだ。
自分の力というのは、どれほどのものか。
たいしたことはないというか、実際、そんな状況ではなにもできない。
「命」を長らえる術をもたずに生きていけるなんて、こっけいな気もする。
自虐的だね。
そうはいっても、このように生きていけることは、人間の総意として意志の表れだとも思う。
言い回しが難しいけど、そういう世の中を人々はとりあえずは望み、手にした。
そして、ひとつの到達点としての現状。
その状況下(条件下)でのさまざまな問題。

すごく、いいかげんな俯瞰をすれば、どのような時代にも「楽しみ」と
「苦しみ」はあったと思う。そして、自分の力の及ばない「何か」によって、
日常は(永遠感)は簡単にひっくり返っていたと思う。
私はこの春は、肉体的にくるしい。そうすると精神的にもくるしい。
頭ではこの状況下を意図的に「よろこぶ」ことも選択できる。
なんとでも言える。
「たかが、しれてる。時期がくれば、直る」と。
くるしさも長く続くと麻痺するんだと、実感した。
たとえ、体の調子が悪くとも、「何か」価値のあることをしていたい自分であったが
そのことがままならぬとわかったとき、志向も停止してしまった。
でも、「ただ生きてる」ことは、今の自分には難しい。
生まれたときは、ただ生きてるだけだったのに。
それだけでよかったのに、オトナには「意味」が必要なんだ。
いや、自分にほほえみかけてくれる誰かが必要なんだ。
それは、他人に求めるものではなく、自分自身に与えなければならない感情だろう。
それが「自立」というものなのか。
そうできる時ばかりではないけれど。

たまに、弱るのも悪くない。多少は学ぶこともある。

だからって、志向に変わるものを自分に与えられるわけもないんだけど。
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by cubit-papa | 2005-04-19 09:26 | 覚え書き

いい天気の日曜日。

今日は、草サッカーの日だったのに、不参加。
無理にやれば、また体力落ちて、来週へろへろになりそうなので、
今日はがまん…。

自分の本や荒物を置いてある部屋に子どもたちの
荷物を押し込んだので、昨日と今日はその整理。

先日、ノジマさんからいただいた本も
なんとか、本棚にしまおうと、ペラペラめくりながら過ごしている。

30年ぐらいまえのヨーロッパのインテリア雑誌なんかあって
おもしろい。北欧の家具が売れてたんだなぁと
雑誌からも伝わってくる。

ディテールはともかく、
「居心地のよい空間に住む」っていうのは
今も、昔も変わらず世界中の人が、それぞれの価値観や
手に入るモノを使って、追い求めてるんだなーとつくづく思った。

でも、ただ、お金をかけてるだけっていうのは
見ててもつまんない。

さて、子どもと自分が居心地のよい空間をめざして
手をうごかそう…。
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by cubit-papa | 2005-04-17 15:41 | 覚え書き

春なのに

2日ぶりの出勤。病院の診断では
気管が狭くなっているとのこと。

でも、働き始めると、
やっぱりペースダウンして仕事できない。

気管支炎とぜんそくはどうちがうの?

連休前にはある程度、回復していたいな。
畑仕事したいし。

呼吸が浅いと、酸欠っぽくて、心拍数があがってドキドキしてくる。
心拍数があがると、なんかしらないけど、
「なんかわるいことしたかなー」という気持ちになって落ち着かない。

ただでさえ、集中力がキープできない状況で
ドキドキしてくるのは、ほんとうにいやなもんだ。

スローなんとかばやりだが、
なかなか、そうもいってられないのだが
スローにしないと、浮き足立ってだめみたい。

花粉症から始まっているこの、悪循環。

いや、それだけじゃないんだろうなー、
回復したとして、以前のペースで働くと、またへばってしまうだろう。

こういう状況で体力をつけていくには、どうしたらよいのでしょう?

しばらく、フラフラ、クラクラしてるしかないのか。

自分がいかに、体を動かして働くことに、意義を感じていたか
再確認してしまった。

デザイナーとかいって、職人に近いのだなぁ。
でも、いつまでも職人でいるわけにもいかない。

そうそう、ドリッパー受けの木部、完成したと連絡あり。
グリップの作図、進んでいないことを思い出した。
焦らず、こつこつやりましょう、と自分に言い聞かせて。
(こういう、自分の締め切りをたくさん抱えてるから
 みょーな時にドキドキするのか?)
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by cubit-papa | 2005-04-15 15:15 | 覚え書き
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1967長崎生まれ。家具を中心としたデザイナーになるべく、マイペースな精進(?)の日々を送る。この猪口の量産化に向けて画策中。(最新形状です)天気がいいと仕事を中断しチャリンコに乗りたくなる症候群を発症。


by cubit-papa
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