祖母がなくなりました。
享年、96歳。
兎に角、よくしてくれて、
認知症になったときは、悲しくて。
施設に入って6年目の夏でした。
ばたばたと長崎へ行って帰って。
通夜、葬式と両親とひさしぶりに過ごしました。
おやじの仕事の都合、親戚との付き合いがほとんどなく
今回、初めて会う人もいました。
祖母は○○に入信しており
葬儀は「友人葬」という葬式の形式てした。
この地区の人が10数名
葬儀がはじまるとともに唱え始めて。
念仏のもつ、言霊というか、
日本人のDNAには響くんだろうな。
わたしはどっちかというと 響かないタイプ。
延々と続く念仏がやっと終わり。
隣では姉が涙をぬぐっていたけど、
私は念仏に圧倒されて。
死者は喜ぶのか、いやきっとこうして
祖母もたくさんの死者を見送ったのだから…。
こうしてもらえるのは彼女にとっては本望なのだろうと、
無理に荒げる気持ちを落ち着けて。
そして、喪主であるおやじがあいさつ。
○○の方々にも、お礼。
そして、おやじが幼少のころ
あそんでいた、わたしにとっての親戚のおじさんへのお礼。
今回、我がことのように葬式などの手配を手伝ってくれた。
祖母がお世話になった施設のみなさんへの感謝の気持ちを
葬儀場の用意した原稿を読まずにとつとつと話した。
話しだしたのを聞いていたら、涙がこぼれてきた。
念仏では 心は 動かなかったのに。
命を長らえるために力を貸してくれた方々、
通夜、葬式の準備をしてくれた、おじさん。
そうした
人たちに対してのおやじの感謝の気持ちはとても伝わって。
せっかく集まってきて、念仏をとなえてくださった人々は
まずは念仏ありきなんだなーと。
祈りはとっても生きて行く上ではたいせつな詞(ことば)。
いろんなことばがあっていいし、きっと祖母はそうした詞を
唱えてもらえてうれしかったはず。
ただ、自分は、自分で考え、感じたことばで
死者をおくりたいと おやじを見て思った。
姉からみると、祖母の最後を見届けずにというか
待たずに、ばたばたと北海道に移住して、
理解しがたいところもあるのだろうけれど、
感謝の気持ちを表せるということは
人として、すごく大事なことなんだと
改めて、教えてもらった気がした。
そして。
いる/いない の差は大きい。
火葬場で骨になった祖母を見て思った。
いろいろ、たくさんありがとう。
自分も、ばあちゃんを見習って生きれるだけ生きてみようと思います。
信じることも、恐れずに。
でも、自分なりにね。
この日本でも自らの命を絶つ人は一日に100人。
天寿を全うすることは、それだけでとても幸せなことなんだろうな。
ちなみに同じ年齢のおふくろのお母さんはまだ、ぼけもせず
長生き中。来月会いに北海道にいきます。
アオちゃんをジジババに会わせるのが目的だけど。
おばあちゃんにも、会おうと。しっかり会おうと思っています。
兎に角、よくしてくれて、
認知症になったときは、悲しくて。
施設に入って6年目の夏でした。
ばたばたと長崎へ行って帰って。
通夜、葬式と両親とひさしぶりに過ごしました。
おやじの仕事の都合、親戚との付き合いがほとんどなく
今回、初めて会う人もいました。
祖母は○○に入信しており
葬儀は「友人葬」という葬式の形式てした。
この地区の人が10数名
葬儀がはじまるとともに唱え始めて。
念仏のもつ、言霊というか、
日本人のDNAには響くんだろうな。
わたしはどっちかというと 響かないタイプ。
延々と続く念仏がやっと終わり。
隣では姉が涙をぬぐっていたけど、
私は念仏に圧倒されて。
死者は喜ぶのか、いやきっとこうして
祖母もたくさんの死者を見送ったのだから…。
こうしてもらえるのは彼女にとっては本望なのだろうと、
無理に荒げる気持ちを落ち着けて。
そして、喪主であるおやじがあいさつ。
○○の方々にも、お礼。
そして、おやじが幼少のころ
あそんでいた、わたしにとっての親戚のおじさんへのお礼。
今回、我がことのように葬式などの手配を手伝ってくれた。
祖母がお世話になった施設のみなさんへの感謝の気持ちを
葬儀場の用意した原稿を読まずにとつとつと話した。
話しだしたのを聞いていたら、涙がこぼれてきた。
念仏では 心は 動かなかったのに。
命を長らえるために力を貸してくれた方々、
通夜、葬式の準備をしてくれた、おじさん。
そうした
人たちに対してのおやじの感謝の気持ちはとても伝わって。
せっかく集まってきて、念仏をとなえてくださった人々は
まずは念仏ありきなんだなーと。
祈りはとっても生きて行く上ではたいせつな詞(ことば)。
いろんなことばがあっていいし、きっと祖母はそうした詞を
唱えてもらえてうれしかったはず。
ただ、自分は、自分で考え、感じたことばで
死者をおくりたいと おやじを見て思った。
姉からみると、祖母の最後を見届けずにというか
待たずに、ばたばたと北海道に移住して、
理解しがたいところもあるのだろうけれど、
感謝の気持ちを表せるということは
人として、すごく大事なことなんだと
改めて、教えてもらった気がした。
そして。
いる/いない の差は大きい。
火葬場で骨になった祖母を見て思った。
いろいろ、たくさんありがとう。
自分も、ばあちゃんを見習って生きれるだけ生きてみようと思います。
信じることも、恐れずに。
でも、自分なりにね。
この日本でも自らの命を絶つ人は一日に100人。
天寿を全うすることは、それだけでとても幸せなことなんだろうな。
ちなみに同じ年齢のおふくろのお母さんはまだ、ぼけもせず
長生き中。来月会いに北海道にいきます。
アオちゃんをジジババに会わせるのが目的だけど。
おばあちゃんにも、会おうと。しっかり会おうと思っています。
by cubit-papa
| 2009-08-25 11:15
| 覚え書き